刺青

谷崎潤一郎の小説。明治43年(1910)発表。刺青師清吉によって背中に
女郎蜘蛛(じょろうぐも)を彫られたお酌が、驕慢(きょうまん)な美女に変身
していく姿を耽美(たんび)的に描く。
皮膚に鋭利な道具で傷をつけ,そこに色料をすり込むかまたは注入することにより
文様を浮かび上がらせるもの。文身(ぶんしん),刺青(しせい),黥(げい)などともいわれる。
身体装飾のうちの身体彩色の一技法としては,文様がほぼ永久的に維持される点を特徴とする。…

起源

入れ墨は比較的簡単な技術であり、野外で植物の棘が刺さったり怪我をしたりした際に、 入れ墨と同様の着色が自然に起こることがあるため、
体毛の少ない現生人類の誕生以降、比較的早期に発生し普遍的に継承されて来た身体装飾技術と推測されている。
古代人の皮膚から入れ墨が確認された例としては、アルプスの氷河から発見された5300年前のアイスマンが有名であり、
その体には入れ墨のような文様が見つかっている[1]。
また、1993年に発掘された2,500年前のアルタイ王女のミイラは、腕の皮膚に施された入れ墨がほぼ完全な形で残されたまま発掘されている。
日本の縄文時代に作成された土偶の表面に見られる文様[2][3]は、世界的に見ても古い時代の入れ墨を表現したものと考えられており、 縄文人と文化的関係が深いとされる蝦夷やアイヌ民族の間に入れ墨文化が存在(後述)したため、これも傍証とされる。
続く弥生時代にあたる3世紀の倭人(日本列島の住民)について記した『魏志倭人伝』中には、「男子皆黥面文身」との記述があり、
黥面とは顔に入れ墨を施すことであり、文身とは身体に入れ墨を施すことであるため、これが現在確認されている日本の入れ墨の最古の記録である。
また『魏志倭人伝』と後の『後漢書東夷伝』には、 「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差」(魏志倭人伝) 「諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差」(後漢書東夷伝) と、
共通した内容の入れ墨に関する記述が存在し、入れ墨の位置や大小によって社会的身分の差を表示していたことや、
当時の倭人諸国の間で各々異なった図案の入れ墨が用いられていたことが述べられている。
魏志倭人伝では、これら倭人の入れ墨に対して、 中国大陸の揚子江沿岸地域にあった呉越地方の住民習俗との近似性を見出し、
、断髪文身以避蛟龍之害』と、他の生物を威嚇する効果を期待した性質のものと記している。

―目的−

個体識別

入れ墨は容易に消えない特性を持ち、古代から現代に至るまで身分・所属などを示す個体識別の手段として古くから用いられて来た。

有名な例ではナチの親衛隊員が、戦闘中に負傷した際に優先的に輸血を受けられるよう左の腋下に血液型を入れ墨

していたほか、アウシュビッツなどの強制収容所に収容された人々は腕に収容者番号を入れ墨されていた。

人間以外の家畜やペットに対しても個体認識のために入れ墨や焼印が行われて来た歴史があり、かつての欧米では囚人の管理用に

広く用いられたほか、近年でもユーゴ内戦時の各収容所において入れ墨による識別が行われていたことが知られている。

また、こうした強制的なケースばかりではなく、出漁中に事故に遭う可能性のある漁師が、身元判定のために

入れ墨するケース(類似に木場の川並が好んで入れていた「深川彫」など)や、首を取られてしまえば身元不明の死体として野晒しになるおそれのあった

日本の戦国時代の雑兵が、自らの氏名などを指に入れ墨したケースなども知られている。

刑罰

罪を犯した者に対して顔や腕などに入れ墨を施す行為は、古代から中国に存在した五刑[4]のひとつである

墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。

墨刑は額に文字を刻んで墨をすり込むもので、五刑の中では最も軽いものだった。

前漢の将軍・英布(黥布)は若い頃に顔に罰として入れ墨を施されたことから逆に自ら黥を名乗ったと伝えられている。

『日本書紀』中にも、履中天皇元年四月に、住吉仲皇子の反乱に加担した阿曇野連浜子に『即日黥』(その日に罰として黥面をさせた)との記述[5]がある。

この記述は、海人の安曇部の入れ墨の風習を、中国の刑罰と結びつけて説いた起源説話とされている。

阿曇野連は漁民でもある海部(あまべ)を統括する氏族であり、河内飼部は馬の飼育にかかわる河内馬飼部(うまかいべ)のことであり、

また鳥の飼育をするのが鳥飼部である。これらは、生き物を飼う職能集団であるという共通性がみられる。

飼育している生き物からの危害を避け、威嚇する意味も含めて、こうした呪術的意味を含み黥面をしていたと推側する研究者もいる。

また『日本書紀』雄略天皇10年10月には宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたので、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)としたとの記述[6]がある。

江戸時代には左腕の上腕部を一周する1本ないし2本の線(単色)の入れ墨を施す刑罰が科せられた。

施される入れ墨の模様は地域によって異なり、額に入れ墨をして、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあった。

ファッション

米国における入れ墨は、1960年代末に世界的に流行したヒッピー文化(大麻やLSDなどの嗜好や
カルト宗教への帰依などを特徴とする)に取り入れられて成長したため、その図案や表示するメッセージなどにおいて両者は不可分の関係にあり
ドラッグ・カルチャーとの関連からヒッピー達が好んだヒンドゥー教やチベット仏教に由来する梵字[7]やオカルト的な図案が多く好まれていた。
近年の日本では、ヒッピー文化の影響を受けた両親を持つ団塊ジュニア世代以降の若年層に第2世代ヒッピーが、
ファッションとしての意味合いで入れ墨を施すことが流行している。 こうした「入れ墨のファッション化」と日本国内のサブカルチャーの影響により、
アニメのキャラクターやアイドルなどを入れ墨する事例も現れている。
入れ墨といえば前述の反社会性ばかりが取沙汰された時代があったが、歌手の安室奈美恵が自らの亡き母親や息子の名前を入れ墨にしている事例からも解るように、
近年は「愛する対象との同一化」や「憧れの対象との同一化」を図るための自己表現の為の装飾道具に変化しつつある
こうした大衆社会の風潮に対して、大手企業を中心としたマスメディアでは「入れ墨」を
従来の入れ墨と同様に反社会的なサインとして関連付けて報道した例が見られる。

刺青を除去するには?

入れ墨を除去することは入れ墨を彫ることよりも困難であり、さらには、完全に入れ墨を除去することは不可能であるため、
入れ墨をしている者は大手ないし一般的な企業・職業における業務や出世などに悪影響を及ぼすということを覚悟をしなければならない。
また、海水浴場で入れ墨をした者の入場を禁じる条例が物議を醸すなど公衆の場で受け入れられているとは言い難い事例も存在する。

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